Saturday, August 31, 2013

チャイの時間【マヌ法典】 ◯◯を盗んだ人は、生まれ変わったら☓☓になっちゃいますよ。


マヌ スムルティ(マヌ法典)は、ヒンドゥー教のベースとなる、ヴェーダの時代の人びとのための指南書です。

人びとの生活が垣間見れるので楽しく、たまに息抜きでパラパラとめくってます。

中でも、もっとも息抜き度が高い、

「 ◯◯を盗んだ人は、生まれ変わったら☓☓になっちゃいますよ。」

のコーナーをちょっと紹介。
***

【12-60】ルビー、パール、サンゴなどの宝石を盗んだ人は、金細工職人になる。

【12-61】穀物を盗んだら、ネズミになりますよ。合金を盗んだら、鴨になるカモ。
はちみつを盗んだら、ハエ。牛乳を盗んだら、カラス。ギー(澄ましバター)を盗んだら、マングース。

【12-62】生鮮野菜を盗んだらハゲワシ。脂肪を盗んだら海鳥。オイルを盗んだらゴキブリ。塩を盗んだらコオロギ。ヨーグルトを盗んだら鶴。

【12-63】シルクを盗んだら、キジ。麻を盗んだらカエル。コットンを盗んだらトカゲ。モラセスを盗んだらヴァーグダという鳥。

【12-64】香料を盗んだらモグラ。葉っぱの野菜を盗んだら孔雀。料理されたご飯を盗んだらスワーヴィット(なんだかわかりません。。)料理されてないご飯を盗んだらヤマアラシ。

【12-65】火を盗んだらガチョウ。楽器を盗んだら黒蜂。色のついた布を盗んだらチャクラヴァーカ(?)

【12-66】鹿か象を盗んだ人は狼に。馬を盗んだら虎に。根菜を盗んだら猿に。女性を盗んだら熊に。水を盗んだらチャータカ(雀?)に乗り物を盗んだらラクダに。その他の動物を盗んだらヤギに。


ふぅ。。。

今日はこんぐらいにしといたるわ。

ゴキブリを見たら、「あなた前世で油を盗んだから、こんなテカテカなお姿になってしまったのね。」と、慈悲深く見守ってあげてください。






Friday, August 30, 2013

ケーララへの旅、三日目と四日目


3日めはマドゥルテンプルから数キロ、アーナンタプラという丘の上にあるパドマナーバ(ヴィシュヌ神)テンプル

アーユルヴェーダの神様でもあるそうで、百を超えるアーユルヴェーダの薬剤がミックスされご神体に塗られているそうです。

池の真ん中にあるお堂。ここのテンプルも、日本のお寺を思わせます。

ここの名物は「ワニ」。

ここの池に生息するワニさんは御年50歳、なんとヴェジタリアンだそうです。

テンプルがお供えするご飯を食べて生きているそう。

「ワニ、いたーーー!」

大はしゃぎです。

子どもたちの池への侵入が許されているのは、相手がヴェジタリアンワニだからでしょうか。


そして午後は、私の「海が見たい!!」というリクエストに答え、カーサルゴッドのフォート(砦)に連れて行っていただきました。

歴史上の詳しいことは忘れてしまいましたが、、、外敵を見張っていた場所だけあって、眺めは抜群。

延々と続くビーチと、ココナッツの森。

愛してるよ、ケーララ。

フォートの隣にあるハヌマーン テンプル で夕方のプージャに参加してこの日は終了です。


4日目の最終日は、朝にドゥルガーデーヴィ(女神様)のテンプルにお参りした後駅に向かいました。

コインバトールへの電車の旅。

昨日フォートから見たココナッツの森を通りぬけ、電車はガタゴトと進みます。

エアコンの車両が取れなかったので、窓のない2Sクラス。

風が気持ちいい〜!

と思ったのもつかの間、身体は汗とホコリでベタベタに。

人の乗り降りが激しく、ローカル色満点。

インドっぽさを満喫したい人にはお勧めです。


4日間のケーララの旅、無事終了。

「インドなのに、こんなに全てが順調にいっちゃっていいんですか!?」

という、良い意味で期待を裏切られた旅でした。

たくさんの人の温かさに、見守られていましたものね。




Wednesday, August 28, 2013

ケーララへの旅、二日目


今回私達の旅の手助けをしてくれた一人、私達のアシュラムのプジャリ(司祭)さん。

彼の故郷であるケーララ州のカーサルゴッドでの滞在を全てアレンジしてくださりました。

現地では、彼の友人であるマドゥルテンプルのプジャリさんが、私達を大切なお客様として迎えてくださいました。

カーサルゴッドには、ものすごくパワフルなことで有名な、マドゥル テンプルというガネーシャのお寺があります。

サルヴァ シッディ カーラ、 どんな願いでも叶えてくれると言われている、このテンプルのガネーシャ。

旅行の前に、インターネットで写真を見た時から一目惚れしてしまったこのお寺。



広い空間の中に、時代を超えてきた宇宙船のようにぽっかりと浮かぶお堂。

何時間でも座っていたい、日本の神社のような穏やかな雰囲気です。



その朝、ガネーシャのホーマ(火を焚く儀式)を行いました。


ガネーシャは、困難を取り除いてくれる神様でインドのテンプルには欠かせない存在です。





このテンプルのガネーシャが、特にパワフルだと言われる所以は、南を向いて座っていることから。

南はヤマ(死)の方角であり、そちらを向くことが出来るのは時間を超えた神様のみなのです。

そして、私達は神様に向かった時に自然と北を向くことになります。
北はモークシャ、つまり私達を自由へと導いてくれる知識の象徴です。

マドゥルでのホーマの後、街で行われているホーマに向かいました。

こんなに大きなホーマはなかなか無いので、居合わせることが出来た私達はとてもラッキーだそうです。全ての困難を取り除いてくれるというこの大きなホーマ。神様はドゥルガー デーヴィ、女神様です。


今まで見たこともない大きさのホーマ クンダ(お供物を火に捧げるための穴)。

インドでは、火がお供え物を神様に届けてくれるとされており、全ての儀式で火が使われます。

4時間に渡るホーマのあと昼ごはんという名のプラサーダを頂き、またマドゥルテンプルに戻りました。

人だけでなく、牛様にもご飯が振る舞われます。


これも偶然だったのですが、その日は満月から数えて4日目の、月に一度のガネーシャの日でした。

夜に行われたサンカタ ハーラ のスペシャルプージャにも参加。


私の中に積もりに積もったいらないものをぜ~んぶ落としきったような一日でした。

ケーララの儀式は美しい。。。

達成感!








ケーララへの旅、一日目。


インドに来てからほとんど「旅」というものに縁がなく、休みがあってもアシュラムで過ごすことが多かったこの3年間でした。

今、2週間という最初で最後の大型のお休みのまっただ中。

どこへも行かずゆっくりする予定でしたが、不思議な御縁が重なって、あれよあれよという間にケーララ州へ呼ばれて行くこととなりました。

旅の一つの目的は、カルナータカ州のマンガロールにある「マンガラ・デーヴィ テンプル」を訪ねること。

とってもパワフルであるというこのデーヴィ、女神様は、結婚の神様。

説明書きによると、「ここでプージャをした乙女は、良い人柄の、教養のある、リッチで、ハンサムな旦那さんを手に入れ、幸せで豊かな家族生活を送ることが出来る」とのこと。

本当ですかっ!?

このテンプルを紹介してくれたのは、私がインドに来て右も左もわからない時から、お母さんのように気にかけていてくれていた、インド人の友達。

彼女が気がかりな事はただひとつ、

「ヴェーダーンタを勉強した、年頃をとうに過ぎてしまった女が、果たして無事に良い男性と巡りあい、結婚出来るかどうか。」

そりゃ、私も気がかりですよ。
インドで勉強しているのは自分の意志ですが、結婚しないことまで選んだつもりはないですから。

ここインドでは、結婚はおめでたいことであるだけでなく、社会に貢献しながら人が成長するためのステップとして、とても大事に考えられております。

いくらヴェーダーンタで“ONENESS”という素晴らしい勉強をしても、社会の一員としてきちんと役割を果たしていくことが出来なければ、せっかくの知識が台無しですからね。

という訳で、最もパワフルだと言われるデーヴィの日である金曜日、行ってまいりました!

電車で約7時間。

その日は、夜9時のプージャまで、朝から断食です。

神様にお願いごとをする時、何かを犠牲にしなければならないのがインドの掟。

でも、フルーツはOK。
 
厳し過ぎないところもインドです。

写真は初体験の「ドライブスルー」のフルーツ屋さん。

窓開けて「りんご1Kg」といえば新聞紙に包んで渡してくれます。

バナナが豊富なケーララ。パッと見ただけでも5種類はありますね。

シャワーを浴び身を清め、サリーを着て、頭に花を飾り、いざ出陣。

インド人は毎日テンプルに行くので、夜9時だというのに人で溢れかえっています。

ご対面したデーヴィ、プージャとも、ものすごいパワーを発しており、これは期待できそう。
 
そして、プージャ終了後はプラサーダで頂いたクムクムを41日間眉間につけます。


今後が楽しみ!




2日め以降もお楽しみに。




Sunday, August 18, 2013

「受け入れること」と「我慢すること」

「受け入れるということ」は、「我慢すること」ではありません。

我慢とは、自分から出てきた感情、反応を抑えこむこと。

受け入れることとは、今起きていることを把握し、認め、同時に、周囲の状況などに合わせて対応することです。

今ある自分の状況を受け入れることができた時、心は和らぎ、落ち着きます。

そして、その状況にどのように対応するべきかを、落ち着いた気持ちで決めることが出来ます。

そこからどのように対応するかは「アクション」、自分の意志に基づいた行いです。

大切なものを失って悲しい。
何か痛いことを言われてカチンと来る。

全ての感情は、外からの働きかけに応じて起こった心の動き、「リアクション」であり、誰にも止めることは出来ません。

そして、リアクションを、だた押さえ込んだ時の反応は衝動的になりがち。

正しい判断を狂わせてしまうだけでなく、イライラや、ストレスをためる原因となるかもしれません。

今の状況も、自分に起きたリアクションも、紛れも無い事実。

否定することも打ち消すこともできませんし、その必要もありません。

しかし、その後の行動に関して、私達は自分の意志を自由に使うことが出来ます。

愛情をもって接するか。
逃げるか。
打ちのめすか。

自分自身にとって、もっともよい選択はどれでしょうか。

受け入れるということは、周囲の状況と、自分に起こったリアクションを理解すること。そして、よりよいアクションをするための土台を作る準備でもあります。





photo credit: denise carbonell via photopin cc

Friday, August 16, 2013

8月15日、スワミジの誕生日


8月15日は、師匠であるダヤーナンダ スワミジの誕生日でした。

その日、スワミジは、アメリカで待っている生徒のためにメッセージを送りました。

短いものでしたが、スワミジの人柄があらわれた温かいメッセージでしたので、覚えている限りを書き留めます。

***

人が成長している限り、誕生日とは喜ばしいものです。

身体の成長が止まってからは、年を取るごとに衰えていくだけ。

それは全くめでたいものではありません。

それでも私たちは誕生日が来る度に祝います。


それは、身体以外にも、成長する部分があるから。

人が心というスペースを持つ限り、いくらでも成長の余地があります。

心の成長、内面の成長、成熟があります。

心の成長には、思いやりの心を育てることや、怒りをどのように乗り越えるかなどがあります。

難しい場面に遭遇した時、自分の苦手な部分、足りない部分、成長していない部分が表面に現れてきます。

その時、自分がどのように振る舞うか。

そここそが、自分が成長することができるスペースです。

親しみやすい人になりたいなと思ったら、親しみやすい人がしているように振る舞ってみる。

愛情豊かな人になりたかったら、愛情豊かなように振る舞ってみる。

Fake it till you make it !

そうやって人は成長していくのです。

大切なのは、実行すること。


お誕生日おめでとう!






Tuesday, August 13, 2013

田上富久長崎市長の「平和宣言」。「ダルマ」と「アダルマ」の関係。


8月9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典において、田上市長による「平和宣言」が行われました。

田上市長がどのくらい日本の国の政治に影響を与えているのかは分かりません。

それでも、今回の平和宣言は、原爆投下を歴史上の出来事と教科書の中での出来事のように考えている私達に、改めて考えるきっかけを与えました。

このメッセージから、「平和を優先すること」そして「核による犠牲者を出さないこと」を被爆国の立場から訴えていく意志が読み取れます。

何よりも平和を優先すること。


第二次世界大戦での主な敗戦国はドイツと日本です。

ドイツは戦争で起きた非人道的な行為に深く反省し、今ではヨーロッパでの平和へのリーダーとなっています。

日本にも、ドイツのように、過去の教訓から平和に対する強固な姿勢を貫いてほしい。

核不拡散条約にサインしなかったのは、他の国からの攻撃があった時に核で対抗しようとしているからでしょうか。

諸外国と絡む政治的な要素があるからでしょうか。

どちらにしてもそれではまるで、将来、核爆弾を落とし合うという状況が訪れるかのようです。

「非核宣言」での、「核兵器の犠牲者になるのを拒む」ということは、「核兵器の犠牲者を出さない。」つまり、「日本が核兵器の加害者ならない」ということでもあるはずです。

日本も、核不拡散に向けての姿勢を示して、開発に向けてのアドバイスにすら加担しないという強い姿勢がない限り、本当の「平和」そして「非核」はありえません。

核による犠牲者を防ぐということ。


「平和宣言」の中ではあまり触れられていませんでしたが、私達はまだ収束していないどころか、先の見通しも立たない原発問題も抱えています。

福島の原発問題から、核や原発は私たちの手に負えるものではない。ということがはっきりわかりました。

地域の住民だけでなく、日本国全部が放射能の汚染に怯えています。

目に見えなく匂いもない放射線は、空気、土、水、全てを汚染し、更に海に垂れ流され、このままだと、地球上の生き物の生命を維持するための環境を破壊し続けます。

私たちに出来るのは、これ以上核の犠牲者を出さないために脱原発を目指していくこと。

今回の「平和宣言」を読んで、田上市長のような考えの出来る政治家がいることを嬉しく思いました。

欲を言えば、核犠牲者である長崎市の立場から、もっと積極的に原発の問題に触れて欲しいです。

このように、過去から学び、世界にメッセージを送ることができる政治家がたくさん現れれることを望みます。

「ダルマ」と「アダルマ」の関係。


サンスクリットで、「ダルマ」という言葉があります。

ダルマとは、調和、秩序。

ダルマが守られている時、平和があります。

その反対に、調和を乱す行為を「アダルマ」といいます。

ダルマとは、本来なら、この世界に普遍的にあるものであり「手に入れるもの」ではありません。

ではなぜ、私たちの平和が脅かされているのかというと、アダルマによって秩序が乱れているからです。

アダルマは、ダルマとは違い、完全に人の意志、行動に基づいたもの。

つまり、誰かがアダルマを起こさない限り、ダルマが壊れることは無いはずなのです。

誰かが核爆弾を落とさない限り、平和が保たれるように。

ダルマを守っていくこと、それが私達にできること。

この「平和宣言」が世界中の人たちの平和への指標となりますように。

 
 長崎平和宣言 
とてもわかり易い「解説書」もあります。






Tuesday, August 6, 2013

ページを更新しました。【ヴェーダーンタ入門】


ヴェーダーンタ入門、カルマヨーガについてを更新しました。

下のリンクまたは、トップページからアクセスしてください。

■ ヴェーダーンタ入門






 


Saturday, August 3, 2013

【ご参考】アドヴァイタ ヴェーダーンタと、ヴェーダーンタは同じです。



ヴェーダーンタといったらアドヴァイタです。

なんでこんな話をするかというと、このブログのタイトルに、「アドヴァイタ」という言葉を入れているので、ヴェーダーンタとは違うのかと思う人がいるかもな、と考えたからです。

ヴェーダーンタの中に、アドヴァイタという学派があるとか、そういうことではありません。

ヴェーダーンタの教えの軸が、アドヴァイタなのです。

アドヴァイタの意味は、「2は無い」ということ。

2といったら、2から始まり、無限大∞までの数字すべてを含みます。

それが何を示すかというと、この世界全部です。

青い空、工事の音、白いご飯の味、10分前、優しい気持ち、痒い、お腹すいた、テレビの中の芸人、全部と言ったら全部。

私の前に立ちはだかる果てしなく広がったこの世界。

そしてこのアドヴァイタ、「2は無い」と言うことで、世界を否定しているわけではありません。

2がないのなら、ゼロか、イチでしょう。

ゼロではないです。

理由はそのうちお話します。

答えはイチです。

この世界に、もしイチしかないとしたら、イチがこの世界全体のはずです。

曇り空、ピアノの音、赤飯の味、10分後、ひん曲がった気持ち、くすぐったい、お腹いっぱい、テレビ、全部と言ったら全部。

イチに含まれます。

2以上の数えきれない私の世界は、全部イチに含まれてしまうんです。

そのイチからは、裂けた枝毛の片方ですら、外に追いやることはできません。

自分がそのイチであることを知る。

ということは、イチである。ということ。

”oneness”

自分「=」世界。

小さな自分と無限に広がる世界を分けてしまうよりも、ひっくるめることが、人にたくさんのリリースを与えます。

もう戦う相手がいないということですから。

シンプルに生きるための知識。

空想の哲学、個人的な思想や思い込みではない、教典に基づいた、隙がなく論理的なヨーガの教えです。




photo credit: Meanest Indian via photopin cc

Friday, August 2, 2013

インド式!月と農作物の関係。そして、オーガニックは誰のため?



今日は、夕方の講義の後、コインバトールの街からゲストがいらっしゃいました。

コインバトールでオーガニック農園を切り盛りしているインドのおっかさんです。

短い時間でのお話だったので大まかでしたが、興味深かったのでメモメモ。

彼女の農園では、肥料にパンチャガウヴャを使っています。

パンチャガウヴャとは、5つの牛からの恩恵。

ミルク、ヨーグルト、ギー(澄ましバター)、尿、糞。

インドでは、人びとの生活と牛は、切っても切り離せません。

牛から出るものは、何一つ無駄なものはなく、私達の生活に様々な形で役に立ちます。

穏やかで草を食べて過ごし、私達に人間にたくさんの物を与えてくれる牛達。

消費するよりも、与えるものが多い者が優れていると考えるインドでは、牛は神様のように大切にされており、ミルクが出なくなって役目を終えた牛達も、寿命を迎えるまで大切に世話をされます。

ミルクは、毎日の神様へのお供え物として使っているそう。
なので、肥料としてのメインは尿と糞を混ぜたもの。

そして海外の研究者たちとの長年の調査の結果、月と地球の距離が作物の育成に大きく影響をおよぼすことが分かったそうです。

月が地球から離れて行く時(アセンディング)種をまき、パンチャガウヴャを作物の上からスプレーするように撒く。
アセンディングの時は、植物は人で言うと息を吸っている状態。その時に種を蒔くと必ずその種は芽が出て大きく成長する。

月が地球に近づいてくる時(ディセンディング)の時は、種まきには不向き。パンチャガウヴャは、土の上に撒く。ディセンディングの時は、人で言うと息を吐いている時。とてもデリケートで、植物は枯れやすいそう。

害虫よけ、農薬の代わりになるのは、なんと、牛が食べないもの!

例えばハイビスカスや、ブーゲンビリアなどを近くに植えると効果的。

彼女のオーガニック農園は、徹底的にアヒムサ(不殺生)にこだわっています。

おっかさんによると、農園で農薬を使わなくなったのは、自分たちの健康のためではなく、虫達を殺したくないという思いから。

廻りの反対を押し切って、10年以上も前に無農薬農園への切り替えに踏み切ったそうです。

ヨーガの思想の原点であるインドならではの視点ですね。

今ではオーガニックやエコなどが流行のようにもなっていますが、人類が自分たちの快適さを基準としてエコロジー活動をしているうちは、地球がいうことを聞いてくれないのは当然ではないかなと思います。温暖化であっても氷河期であっても、この地球がその時、宇宙のバランスの中で、あるべき姿をしているに過ぎません。

インドのおっかさんが見つけた月と作物の関係、そして農園内での生態系バランスは、小さな生き物を思いやる気持ちが「調和」という形で実ったものでした。

なんでオーガニックなのか、何がエコロジーなのか、もう一度視点を変えて考えてみるよい機会となりました。


農園のウェブサイトはこちら。











LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...