Tuesday, August 13, 2013

田上富久長崎市長の「平和宣言」。「ダルマ」と「アダルマ」の関係。


8月9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典において、田上市長による「平和宣言」が行われました。

田上市長がどのくらい日本の国の政治に影響を与えているのかは分かりません。

それでも、今回の平和宣言は、原爆投下を歴史上の出来事と教科書の中での出来事のように考えている私達に、改めて考えるきっかけを与えました。

このメッセージから、「平和を優先すること」そして「核による犠牲者を出さないこと」を被爆国の立場から訴えていく意志が読み取れます。

何よりも平和を優先すること。


第二次世界大戦での主な敗戦国はドイツと日本です。

ドイツは戦争で起きた非人道的な行為に深く反省し、今ではヨーロッパでの平和へのリーダーとなっています。

日本にも、ドイツのように、過去の教訓から平和に対する強固な姿勢を貫いてほしい。

核不拡散条約にサインしなかったのは、他の国からの攻撃があった時に核で対抗しようとしているからでしょうか。

諸外国と絡む政治的な要素があるからでしょうか。

どちらにしてもそれではまるで、将来、核爆弾を落とし合うという状況が訪れるかのようです。

「非核宣言」での、「核兵器の犠牲者になるのを拒む」ということは、「核兵器の犠牲者を出さない。」つまり、「日本が核兵器の加害者ならない」ということでもあるはずです。

日本も、核不拡散に向けての姿勢を示して、開発に向けてのアドバイスにすら加担しないという強い姿勢がない限り、本当の「平和」そして「非核」はありえません。

核による犠牲者を防ぐということ。


「平和宣言」の中ではあまり触れられていませんでしたが、私達はまだ収束していないどころか、先の見通しも立たない原発問題も抱えています。

福島の原発問題から、核や原発は私たちの手に負えるものではない。ということがはっきりわかりました。

地域の住民だけでなく、日本国全部が放射能の汚染に怯えています。

目に見えなく匂いもない放射線は、空気、土、水、全てを汚染し、更に海に垂れ流され、このままだと、地球上の生き物の生命を維持するための環境を破壊し続けます。

私たちに出来るのは、これ以上核の犠牲者を出さないために脱原発を目指していくこと。

今回の「平和宣言」を読んで、田上市長のような考えの出来る政治家がいることを嬉しく思いました。

欲を言えば、核犠牲者である長崎市の立場から、もっと積極的に原発の問題に触れて欲しいです。

このように、過去から学び、世界にメッセージを送ることができる政治家がたくさん現れれることを望みます。

「ダルマ」と「アダルマ」の関係。


サンスクリットで、「ダルマ」という言葉があります。

ダルマとは、調和、秩序。

ダルマが守られている時、平和があります。

その反対に、調和を乱す行為を「アダルマ」といいます。

ダルマとは、本来なら、この世界に普遍的にあるものであり「手に入れるもの」ではありません。

ではなぜ、私たちの平和が脅かされているのかというと、アダルマによって秩序が乱れているからです。

アダルマは、ダルマとは違い、完全に人の意志、行動に基づいたもの。

つまり、誰かがアダルマを起こさない限り、ダルマが壊れることは無いはずなのです。

誰かが核爆弾を落とさない限り、平和が保たれるように。

ダルマを守っていくこと、それが私達にできること。

この「平和宣言」が世界中の人たちの平和への指標となりますように。

 
 長崎平和宣言 
とてもわかり易い「解説書」もあります。






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