Sunday, July 27, 2014

夏ですねー。


暑い夏がやって来ました。

どんなに暑くても、夏というのは最も好きな季節!

今日はファーストシップさんでワークショップを行いました。

テーマは 「一元論とインドの神々」

ヴェーダの教えは「世界はたったひとつのブラフマン」であるのに、なんでインドにはたくさんの神様がいるの??

そういう疑問に答えるべく、、、

といっても、そんな疑問もっている人はいないと思いますが。。

沢山の人が来てくださって、更に興味が深まったという方もいらっしゃいました。

おかげで大変有意義なクラスとなりました。

私にとって、クラスの準備はものすごく時間がかかるもの。

しかし同時に、自分にとっての大切な勉強の時間ともなります。

哲学や宗教学って、曖昧なものではなく、理論的で、勉強すればするほど沢山の事がパズルのようにピタッとはまっていきます。

日々情報がコロコロ変わる栄養学なんかより、、ずっと「確か」なもの。

面白いです!

一生をかけてこの勉強と、それを伝えていくことが出来ますように。

ナマステ






 

Saturday, April 26, 2014

オーガニックライフ東京に行ってきました。

インドで同級生だった、ミオ先生の所属するアンダー・ザ・ライト・ヨガスクール主催のヨガイベントです!

UTLらしい温もりの伝わる企画が盛りだくさんのイベント。

明日まで行っておりますのでみなさんも是非参加してくださいね。

入り口でミオ先生と遭遇!

会いたいなーと思ってた人には会えるものですね★

インドでの生活を闘いぬいてきた仲間で、今はたくさんの理想を持って日本のヨガ会を引っ張っていくとても尊敬するミオちゃん。

このオーガニックライフも沢山のミオちゃんのアイディアが盛り込まれているのだろうなと、想像しながら会場である体育館へ向かいました。

今回は初めてHikaruさんのクラスを受けました。

やさしくて力強いインストラクションで、久々のヨガも順調に終えることが出来ました。

Hikaruさんのクラスはシヴァーナンダヨーガのスタイルです。

私がインドにいたころ、私の座り方、立ち方、歩き方を見て、どんどん硬く、筋肉も衰えているのがわかるからヨガをしなさい!と、自ら名乗りでてくれたのがシヴァーナンダ出身の同級生した。

自ら指導を名乗りでてくれるなんて、本当に有りがたかったですし、お陰で健康な体を取り戻すことが出来ました。

あの頃が遠い昔のようだけど。。


今日は昔の仲間と会い、ヨガのクラスを受け、(その後南インド料理も食べ、、、)

インドでの大切な時間を思い出させてくれた一日でした。


では。




Wednesday, April 23, 2014

自分を大切にしていますか?って話ですよ!


最近、沢山の人と話し、生活に触れる度に思うことがあります。

もっと自分を大切にしてあげて!!

って。

モヤモヤしている人ほど不摂生というか、、きちんとご飯も作らず外食またはコンビニ。

楽しみは同じ価値観を持つ人達との食事や飲みで日頃のストレスを発散。

自分へのご褒美に海外旅行やネイル。美味しい酒に食事。

ストレス発散とおもってしていることは実際には発散になってないし、ご褒美してあげたって実際には満たされていない。

自分にとって本当は何が必要なのか、必要じゃないのかを見極めないと、一生不満を抱えて似たようなことを延々と繰り返して過ごすことになる。 

楽しんでいるようで、楽しんでいるように見えない。。

自分の体や心、生活を作るのは自分です。

この世界はあなたに何にもしてくれません!

ただ、消費者である私達の潜在意識に、売るために巧妙な仕掛けをしてくるだけ。

自分の家族や友達を心配してあげる時のように「大丈夫?体に良いものを食べてゆっくり休んでね。」と自分に言ってあげてますか?

言ってあげるだけじゃなく、ちゃんとケアもね。

五感を喜ばせ、欲望を満たしてあげることが自分を大切にすることじゃありません。

食べ物一つにしても、何を食べるか、どのくらい食べるか、いつ食べるか。。

自分の人生は小さなチョイスの積み重ね。

モヤモヤしているとしたら根本的な何かを見なおさなければならない。

この人生、一生を24時間共に過ごすのは自分ですよー!




photo credit: Lori Greig via photopin cc

Tuesday, April 15, 2014

サンスクリットを学ぶ子どもたち 。Sanskrit thriving in British schools



これは、イギリスのある私立学校でヴェーダのチャンティングが採用されているという実例です。

他国の古典語が、学校のカリキュラムに組み込まれているとは感動!

今では、沢山の親が子供に学ばせたいと考えているそうです。

西洋人にとってサンスクリットの発音はとても難しい、でも、学ぶに値するものだと、先生はおっしゃっていました。

生徒たちもとても、チャンティングのクラスが大好き。

この学校では、なんと1975年から教えられています。

今、ヨーガの影響でサンスクリットやマントラを学ぶ事への興味も高まっていますが、75年から、しかも学校の授業に取り入れるとは、とても先見の目のある先生ですね。

伝統的に、マントラは、意味を知らなくても、チャンティングをするだけでその効果が得られるとされています。

目に見える効果としては、精神的な穏やかさやをもたらします。

そして、マントラの祈りが後々何かしら結果となって自分に返ってくるのです。

確かに、しょうもないうわさ話や、ネガティブなことを口に出すよりも、神聖なマントラを唱えていたほうが心にもいいに決まってますね!



Sunday, April 6, 2014

神様とはどこかに座ってる人だと思っている人へ。


全宇宙の万物は、全て創造されたもの。

つまり、創造主がいる。

全宇宙、万物をサンスクリットではジャガットといい、私達の住む地球だけでなく彼方の銀河系全てを含む。

創造するということは、創造主は創造されるものについて知識を持っていることになる。

つまり全知であり、その全知である創造主を私達はイーシュワラと呼ぶ。

創造主は、この空間の中に存在することは出来ない。

なぜなら空間も創造されたものだからだ。

私達が家を作る前に家の中に入ることが出来ないのと同じだ。

しかし、全てがこの空間に存在する限り、その創造主自身もその空間の外にはいられない。

じゃ、どこにイーシュワラが存在する??

実は、この世にあるもの全てがイーシュワラなのだ。

創造主は創造したものから一寸足りとも離れてはいない。

全てが創造主の知識の現れなのだ。

この空間、時間、銀河、太陽系、地球、大気全てがイーシュワラ。

私達が確認できるものも出来ないものも、全て。

空間という巨大なものから、小さな小さな物、例えば原子や粒子まで、全てがイーシュワラなのだ。


納得できるかな。



photo credit: ▓▒░ TORLEY ░▒▓ via photopin cc

Saturday, April 5, 2014

【サンスクリットで数えよう!】Sanskrit Counting from 1 to 12



第二弾。ラクシャ先生による、1〜12までの数字をサンスクリットで数えるレッスンです!

正しいサンスクリットの発音で太陽礼拝をカウントしてみましょう!



Wednesday, April 2, 2014

私達が知るべき、大切なこと。ダヤーナンダスワミジの本「Value of Value」から。


Before knowledge of myself it was my conclusion that ," I am the body. Various things in the world, separate from me, make me secure, bring me happiness." But after knowledge such notions are no longer conclusive. after knowledge I know that I, limitlessness. am the only secure thing. I know that I, the non-dual reality of creator, creation and individual, am time-free existence, form fee awareness - I am absolute fullness which knows no gain or loss.               〜Swami Dayananda ji


本当の自分を知る前は、“私はこの体である。そして、この世界にある様々なものが私を守り、幸せにしてくれる。” と思っている。でも、それらの考えは確かなものではないことを知る。本当の私とは、限りなくつづく永遠であり、唯一の確かなもの。創造主、創造物、そして、個性を持った個体においての唯一無二の真実が私である。それは、時間からも自由な存在で、自由な意識。私は絶対的に満たされていて、つまり得ることも、失うことも何もない。        
〜スワミ・ダヤーナンダ



Tuesday, April 1, 2014

【必見!】マンジュラお母さんのベジタリアン・インド料理レシピ!Manjula's Kitchen



ベジタリアンの方だけでなく、グローバルなあなた!料理の幅を広げたい方必見です。

Manjula's Kitchin  マンジュラの台所

マンジュラお母さんは、YouTubeにインド料理のレシピをアップし続けてもう6年にもなるそう。

インディアン・ベジタリアンのバラエティの豊かさが伺えますね。

といっても、カレーなんですけどね。

私はすっかりマンジュラおっかさんのお世話になりっぱなしです。

インド訛りの英語がまた、私にとっては心地よく。。。

お気に入りはこのシンディ・カディ。ひよこ豆の粉でとろみをつけた野菜カレーです。

おいしーーー。

え?食材はどこで手に入れるのかって?

新大久保に、インド食材屋が軒を連ねている一角があります。

また、浅草からほど近い蔵前駅のすぐ近くに「アンビカ」というベジタリアンインド食材スーパーがありますよ。こちらはとてもきれいでオススメです。また、購入するとレシピのコピーもいただけるんです!

スパイスも、豆類も、OKプライス!

その他にも、都内に沢山のインド食材屋があるので、今度まとめてリンクをアップしますね。

あー、圧力鍋、欲しいなぁ〜!!





Tuesday, March 11, 2014

お花から学んだ元気を取り戻す方法。


「もうシーズン終わりだからこれから咲かないよー。」

って言われたにもかかわらず買ってきたお花。

どんどん元気がなくなって花もつかなくなってきていた。

この間、思い切って切り戻してみたら、なんと復活!

毎日たくさんの蕾が生まれ、すごい勢いで花開いていく。

ー 教訓 ー

元気が無い時は、サプリメント(足す)のではなくデトックス(引く)!

これで、復活間違いなしだ。



Wednesday, March 5, 2014

★バガヴァット・ギーター第3章17節

バガヴァット・ギーター第3章の前半で、クリシュナは、この宇宙のサイクルをチャクラ(輪、車輪のように回り続けるもの)。そして私達のカルマをそのチャクラを動かし続ける原動力として、ヤグニャ(火の儀式)に例えています。

バガヴァット・ギーターの中で、自分の感覚を満たし喜ばせる為に、何かを手に入れようと追い求める人を非難していることがしばしあります。そこには、私達のすべきことに集中し、注意をむけなさいという意味が込められています。

もし、今やるべきことがあるのに、それをしなくてもいいと感じたとします。しかし、人々が義務を放棄すれば、世界の調和や秩序がうまく回らなくなっていくでしょう。自然界に存在するもの全てが役割を持っています。その中でも人間は、この宇宙の生態系を構成する一員であり、中心的な存在です。自分からこの生態系が始まっており、中心となっているということを理解した時に、他者における繊細さや理解が生まれます。

ここまでの話を踏まえて、バガヴァーン クリシュナは言いました。

यस्त्वात्मरतिरेव स्यात् आत्मतृप्तश्र्च मानवः |
आत्मन्यवे च सन्तुष्ट: तस्य कार्यं न विद्यते || १७ ||

yastvātmaratireva syādātmatrptaśca mānavah
ātmanyeva ca santustastasya kāryam na vidyate
|| 17 || 


Whereas, for a person delighted in the self, who is satisfied with the self, contended in the self alone, (for him) there is nothing to be done.

感覚的な悦びを求める人と反対に、自分自身の存在が喜びそのものである人は、つまり、自分自身に満たされている人は自分自身を追い求める。彼にとって「しなければならない事」など何もない。

シャンカラはこのシュローカに対し、このようにコメントしています。

喜びに満ち溢れている人、その人こそが“全てを放棄した人”。その人は自分の舌を喜ばせてあげるような小さな人ではありません。殆どの人は、自分を満たすために外面的な何かを求め、手に入れたがります。全てを放棄した人は、自己のみで満たされています。その人達をニャーニといい、彼らは何かを手に入れるために、しなければならないことなどありません。

自分自身(アートマ)をサムサーリ(小さい自分、悲しみや好き嫌いなどに侵されている自分)として見ている人は、自己の存在のみで満たされることはありません。

体験者 भोगी (ボーギー bhogī) は外の世界を操作しよう躍起になっています。ヨーギーはマインドをコントロールしようとします。彼らの問題点は、「こうなりたい」とあれこれ変えようとしてしまうこと。それは終わりのない旅となってしまいます。

人々は、自分と取り囲む環境が理想的であった時だけ、一時の喜びを味わいます。反対にニャーニは環境にかかわらず、自分自身の存在のみで幸せです。

体験者ボーギーが、新たな幸せを手に入れようとして常に走り回っている。そして行動者 कर्ता (カルター kartā)となります。その反面、彼自身をカルター "doer"として見ていないのが、ニャーニです。


【サンスクリットで言ってみよう!】シヴァナンダヨーガ・12の基本アーサナの名前

インドで一緒に勉強していた友人によるサンスクリットレッスン。

アーサナの名前をサンスクリットで言ってみよう!




とても素敵な先生です!ドバイへ行った時はぜひ訪ねてみてください!

Sunday, March 2, 2014

【カルマの法則】全ては運命によって決められているのか?それとも自由意志はあるのか?

プラーラブダカルマ ( प्रारब्धकर्म prārabdhakarma ) それは私達の運命。

運命とは、過去の行いが結果となって、一刻一刻と展開されていくもの。

インドの占星術で自分のチャートを見てもらえば、そこにはある程度の運命が書かれていて、過去については、まあまあ細かいところまで当てられる。

チャートの星の位置が、私の今生のカルマを表しちゃっている。。

う、、、直視できない。。

あんなこともこんなことも、、起こるべくして起こったということか。。

これから先起こることもだいたい決まっているなら、、流れに身を任すしかないのね。

ダイエットが明日からになっちゃうのも、、運命なのかしら。。

って、そんなことあるかい。

そう、人生とは、運命+自由意志。

私達にはどうすることも出来ないことも沢山ある。

しかし、起こったことに対してどのように対応していくか、それは私達の自由意志によって選択することが可能だ。

つまり、全てではないけれど、選べることもある。

そして、それで十分なのだ。

自分の両親、生まれた国や時代などは変えられないけど、自分がどんな人でありたいか、どのようにしたいのかは決められる。

自分の今日の運命は、過去の私の自由意志によるもの。

運命とは、気ままなものではないのだ。

より良い未来の為に、私達は賢く、選択をしていく力を使わなければ!







photo credit: Pandiyan via photopin cc

Friday, February 28, 2014

アナタはカミをシンジマスカ〜?


”信じている”とも”信じてない”ともはっきりいえる人は少ない。

なぜならその神に対して私達は知らないことが多すぎるからだ。

自分の存在に疑いがないように、この世界も間違いなく存在している。

神というのは、どこかに座っているあの人ではなく、この世界そのもの。

この世界とは、調和であり、秩序である。

これは、“理解されるべき”哲学であり、“信じる”“信じない”の問題でもない。抽象的な教義や、不確かな考えでもない。

“信じない人” はもしかしたら“信じる人”より人生について考えている人かもしれない。

しかし彼らは、何かの理由で“信じない”ことに決めたのだ。

調和や秩序に基づいてこの宇宙すべてが絶妙なバランスを保ちつつ存在しているのなら、私達の命や生き方も、その秩序の中にある。

それを知るのは意外と難しくない。

私達にとって身近で、とても明らかだからだ。

地球は太陽の周りを回っているし、ジョークがツボに入れば笑いが起きる。

沢山雨が降れば緑が生い茂るし、富士山に登れば空気が薄くて頭痛がする。

そして、私達日本人は、木の葉っぱ一枚にも神様が命という形で宿っているということを知っている。

もし、神様とは「天国という死んだ先で待っている人」だと言われたら、納得するのに時間がかかるかもしれないし、納得出来ないかもしれない。

しかし、私達が言う「神」は、真実、リアリティであって、盲目的な信仰とか宗教ではないのだ。

ちょっとオープンな考え方の出来る人なら、簡単に理解できるし、神に対して感謝に満ちた毎日を送ることができるのである。

写真はバガヴァット・ギーターのワンシーン。
クリシュナはアルジュナに、この宇宙の創造の全てを一瞬にして見せた。>
目のくらむような美しいもの。目を背けたくなるようなおぞましいもの。天国、地獄。地球以外の世界。過去も現在も未来も。アルジュナは、それを見た時、怖く なった。それは、そのクリシュナが表した宇宙の全てに自分の存在を含めていなかったからだ。このストーリーには、自分と世界を分けてしまうことが、心に恐 れを生む、という哲学的な意味が込められている。


Thursday, February 27, 2014

今日はシヴァの日【シヴァラートリ】シヴァの第三の目の秘密。

今日はシヴァラートリ。シヴァ神のお祭りです。

この日は、とても縁起が良い日。おめでたい、幸せに満ちた日です。

シヴァ神の“シヴァ”がサンスクリットではまさに「縁起の良い、幸福な」という意味であることが、今日一日が特別な日であることを示しています。

インドのお祭りには、ディーパーヴァリに代表される、新しい服を着て美味しいものを一日中(どころか約一週間!)食べて家族で賑やかに過ごすもの。

そして、シヴァラートリに代表される、厳格で、メディテーションをして身も心も神様のそばで一日過ごすような精神的なお祭りがあります。そのため、キッチンに立ってご飯を作る暇も、食べる暇もありませんので、多くの人は断食をして過ごします。

インド中の全てのシヴァテンプルでは、盛大なプージャが行われます。

今年はテンプルに行けないので(涙。)、、、家でスペシャルプージャを行いました!



いつもよりお花がいっぱいで、神様たちが埋もれちゃってるー。

シヴァの第三の目にはどんな意味があるの?

 シヴァの名前の一つにトリャンバカ  त्र्यम्बकम्(tryambakam) があります。
トリは、3つの。 アンバカは目。トリャンバカは3つの目を持つもの。という意味で、シヴァを表します。

この3つの目は、この世界を照らすことが出来る3つの光の象徴です。
 
一つの目はスーリヤ(太陽)でもうひとつはチャンドラ(月)そして、第三の目はアグニ(火)を表します。昔々、太陽も月も出ない月食の夜は、火を焚くことで光を得ていたからです。


第三の目が象徴するもう一つの大切な意味


右左の目は、肉体の目。私達はその2つの目を使ってこの世界を認識することが出来ます。

そして第3の目は「知識」の目。

私達の2つの目では見ることが出来ない、この宇宙の創造の後ろに隠れてしまっている真実を見極める目です。

チャーンドーギャ・ウパニシャッドで、先生と生徒のこんなやりとりがあります。

先生は、生徒に塩水の入った器を差し出し聞きました。

先生「なにか見える?」
生徒「水、、」
先生「どんな水?」
生徒「塩が溶け込んだ水」
先生「どこに塩があるの?浮かんでる?沈んでる?見えるの?」
生徒「見えません!」
先生「これが塩水だって、確認してみなさい。」

そして、生徒は口にその水を含み、その水には塩が溶け込んでいることを確認することが出来ました。

これが塩水だということを知るためには、目ではなく舌を使う。それは、ある感覚器官で確認できないことでも、別の方法で確認することが出来るということを示しています。

聖典は、私達は五感を使ってこの世界を知ることができる。しかし、塩のように溶け込んで、隅々まで行き渡っているこの世界の「真実」を知るためには、五感以外の方法でしか知ることが出来ないと言っています。

そしてその唯一の方法が、「知識」。ニャーナンです。

第三の目は知識の象徴であることから、ニャーナアグニ(知識の炎)とも呼ばれます。

このトリャンバカ、シヴァ神に祈りを捧げることで、きっとシヴァは私達にも真実を見極める第三の目を授けてくれるでしょう。

Saturday, February 1, 2014

幸せになるための第一歩は、幸福を探し求めないことから。

私達は、“幸せ” が大好きです。

幸福や喜びを手に入れるために、様々なものに心惹かれ、手に入れた幸せが逃げていかないよう囚われます。

幸福は、私達の本質。

なので、幸せでありたいと望むこと、喜ばしいことを求めることは決して自分勝手なことではありません。

ヨーガの教科書などに、「執着」について書かれていることがあります。

皆が幸せでありたいのに、執着するなとか、執着を手放せとは一体どういうことでしょう?

ヴェーダーンタでは、自分に幸せ与えてくれた物の本質を知りましょう。と言っています。

この世界から手に入れることができるのは、何一つとして普遍的ではありません。

自分の幸せのモトとなっているのが、「物」や「お金」や「人」だったとしたら、、それは、あなたを不幸にする可能性もあります。

その時の自分が受け入れられたから、自分にとって好都合だったから、幸せ。

自分を受け入れてくれたことで、その人がまるで自分に幸せを与えてくれるような錯覚に陥いりがちです。

でも、次の瞬間その人が私を否定するかもしれない。そんなことがあったら、その人は自分の幸せをさらっていってしまいます。

幸福、または不幸という状態に対して客観的になること。  

自分を幸せにできるものは、不幸にも出来る。

なので私達は、本当に幸せになりたければ、外のものに頼るのではなく、自分自身の中に見つけていかなければならなりません。

しかしそれは、決してこの世界と自分を切り離そうとしたり、この世界に何も求めない、期待しないという意味ではありません。

自分自身の中に幸せを見つけるために、できることは何?


少しずつ少しずつ、幸せを求めたり自分を満足させようとあれこれ探しまわるのをやめてみましょう。

そうすることで、既に自分が持っているものに価値があること認め、大切にすることが出来るようになります。

私達が外に幸せを求めるとき、それは、自分が幸せでないと結論づけてしまっている時。

潜在的に出しているその結論は、正しいものではありません。

外に求め、探し求めることを出来るだけギブアップしていく。

まずはコップ一個でも恋人でも、今既に持っている物や人を大切にし、他を手に入れることで補おうとする前に、その中にもう一度その中に価値を見出してあげる。

そうしていくことで、最後には自分自身を認め、大切にすることが出来るようになり、自分自身の中に幸せを見つけることが出来ます。

そして、シンプルでミニマルな生活にも繋がりそうですね。





photo credit: Rakesh JV via photopin cc

Monday, January 20, 2014

お参りベジタリアンのススメ。ふろふき大根。


改めて浅草の聖天様にお参りに行ってまいりました。

インドに住んでいた頃は、徒歩30秒のところに立派なテンプルがありましたが、今はこうして電車に乗って訪ねて行かなければなりません。

本堂で神様と一緒に座る時間。

日本のお寺でもその心地よさは変わりません。

その日は、本堂の外に、皆が供えた大根のお下がりが置いてあり、頂いて帰ることが出来ました。

その日の夜、作った大根料理は、、「ふろふき大根」!



下茹での際、とぎ汁の代わりに入れた一掴みの米が、予定外におかゆに変身。

次に大根を昆布で煮た時の汁で、割って頂きました。

ふろふき大根に合わせたねぎ味噌は、味噌、みりん、酒、砂糖を混ぜアルコール分を飛ばし、すり鉢で擦った九条ねぎに混ぜあわせたものです。

我ながら美味しい。。

お下がりものの大根ですので美味しさも倍増です。

お参りの時だけでも、ヴェジタリアンになってみよう。


今では、若い人達の間でも、お寺や神社巡りなどが広く親しまれているように感じます。

お寺や神社によって、参拝の作法は異なりますが、世界各国どんな神様にお参りするにしてもひとつ忘れてはならないことがあります。

それは、“ 清潔 ” であること。

浄不浄の概念がはっきりしているインドの経典では、清いことを शौचम् ショウチャン といい、“外見” と “内面”  両方がきれいである状態、とされています。

気持ちも引き締まりますので、お参りの日は特別に意識してみてはいかがでしょうか。

बहिर्शौचम्  バヒルショウチャン
外見の清潔さとしては、朝しっかりとシャワーを浴び、髪を洗い、新しい服、または洗濯したての服を着て出かけましょう。

अन्तर्शौचम् アンタルショウチャン
内面を清潔に保つのは難しいですね。

人の悪口や不平不満を慎む、などのちょっとした心がけが心を穏やかにし、内面を綺麗にしてくれるでしょう。

そして、もう一つ、更に清くいるためにできることがあります。

その日だけでもべジタリアンで過ごすこと。

日頃意識せずに口に運んでいるかもしれませんが、お肉やお魚をいただくことは、命の犠牲を伴っています。

神様にお願いごとをする時、それは何かがほしい時。

直接手を下していないとはいえ命を頂いているのに、私はこれがほしい、というのも虫が良すぎるのでは?

また、冷蔵が発達しているとはいえ、死んでから何日も経つお肉を食べることは決して शौचम्ショウチャンとはいえません。

お肉やお魚以外でも美味しいものは沢山ありますので、とても簡単な事です。

本来なら、どうしても手に入れたいものがあるときは、自分の命を犠牲にするぐらいの覚悟が必要。
 
実際にインドでは、ここぞ!という時は断食をして望みます。

お祈りは、自分の心の奥の曖昧な想いを形にする行為。

神聖な場所を訪ねるときの作法としての शौचम् ショウチャンは、自分の想いを決意に変える心構えにもつながります。

また、日頃から शौचम्ショウチャン を意識することで、祈るまでもなく、自然と家内安全や健康へとつながるのではないのでしょうか。


少しでも身を清くして、お願いごとをすれば、叶いやすいこと間違いなしです。




Thursday, January 16, 2014

初詣、浅草でガネーシャを発見しました。



先日、浅草が地元の友人に、初詣、下町ツアーに連れて行ってもらいました。

大混雑の浅草寺はもちろんパスして、、小さなお寺めぐりです。

浅草には、たくさんのお寺や神社があるのですね。

インドですっかりテンプルっ子になってしまった私。

お寺と聞くだけでワクワクしてしまいます。

最初に訪れたお寺は「乳待山 聖天」。

「大根まつり」の旗が高々と掲げられ、吸い込まれるように入り口の階段を登りました。

坂のない浅草には珍しく、このお寺の場所だけが小高い丘のように盛り上がっています。

ここでは、大根を神様にお供えします。

しかもまるまる一本!

うわーー、なんかそういうとこ、インドっぽい!

と思いつつ大根をお供えすると、そこにはお香がおいてあり、お参りの後体にまぶすのです。

素敵なお寺だな。密教のお寺だというし、インドとの関連が深いのかな。

と思いつつ、なぜか帰ってからもそのお寺のことが強く心に残っていました。

見えなかったけれど、一体どんな神様なんだろう。

と、グーグルで、「聖天」を画像検索したら、、、


なんと、神様の姿は「」だったのです。

つまりガネーシャ!

 
予期せず発見したインドと日本の深いつながり。

喜びを隠しきれず、インドで一緒に過ごした友人に、すぐにメールで報告をしてしまいました。

しかも訪れたその日は、インドの暦で月に2回あるガネーシャチャトルティ。

ガネーシャの導きとしか思えないこのお寺との出会い。

日本に帰って早速見つけた、通いたいお寺です。




Wednesday, January 15, 2014

良い一年に向けてのスタート。


だいぶ遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。

昨年の11月、3年半のコースを終えて、日本に帰国しました。

トータルで約5年、海外におりましたので、家族や親戚、友達と迎えるお正月は久しぶり。

良い一年に向けての、最高のスタートとなりました。

インドにいた時は、アシュラムでの生活。そして先生はスワミ。同僚もスワミ。勉強の内容も“自分”について。言うなれば一人でも大丈夫になってしまう勉強でもあります。

「自分を知るために、自分自身と一緒にいる。」

ということをしてきた、贅沢な3年半でした。

しかし、「一人でも大丈夫」というのは、決して自分の人間関係や社会生活を断ち切って人里離れたところで生きることが出来る、と言うことではありません。

勉強してきた、理論的すぎるとも言える “哲学” でしたが、その理論が、家族や友達、日本いう社会とのつながりを通して、初めて活きてくるのを実感しています。

そして、頭で理解していたことが、自分のものになっていく為には、 個人や家族としての社会での役割を大切にしながら成長していく、ということが何よりの近道。

皆は、「愛子、変わってなーい!」と言いますが、、

まだまだ私は成長過程の身ですからね。

***


新年は、浅草が地元のお友達が、たくさんのお寺を案内してくれました。

少しずつでも前に進むことが出来るように、しっかりお祈りをしてきました。

そう、そして、お寺めぐりの中で、思わぬインドとのつながりも発見しましたので、次の記事で。。


そして、6年ぶりに新しいPCも購入し、快適に動くようになりましたので、またブログを再開します。

また、どこか場所を借りて、クラスを始めようと思っています。


今年もどうぞよろしくお願いします。


写真は、インドで最後に訪れた地、ナグプールの有名なガネーシャテンプル。

何はともあれ新年は、障害を取り除いてくれる神様、ガネーシャさんにお祈りしましょう!


鈴木愛子


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